白高大神と饒速日命や物部氏との関わりを強引に考察

白高大神と饒速日命や物部氏との関わりを強引に考察

石上神宮と物部氏について書きたくなりました。

石上神宮は「物部氏の氏神」として一部の人達に大人気な神社だったりします。

石上神宮界隈の出来事を知ることは、物部VS藤原の歴史を紐解いていくことになるのかもしれません。

物部氏。日本史の裏側を彩りすぎ。マジ裏側。

藤原氏。日本史の勝ち組。マジ勝ち組。

物部VS藤原。秦氏がうんぬんかんぬん。天皇家も加わって天照系とスサノオ系と月読命系の三位一体が令和に実現?というような事柄にも興味なくもないです。

「バレたらすべて水の泡や・・・。」

画像引用:http://ryutao.main.jp/nature_fujiwarakyo.html

さて。なにがバレたらヤバいのでしょう。へそくりかな?

日本史に物部の名前が登場するのは「石上(物部)朝臣麻呂」で最後です。

かつては皇族が物部の勢いにビビって和歌に詠むぐらいに強かったのですが、そのような話はいまはむかし。

石上(物部)朝臣麻呂が藤原京の留守役に残されてしまった事件以降、物部氏が日本史の表側に出ることはありませんでした。

藤原氏と天皇のメインチームは平城京へ。平城京遷都のことです。

引用:「神と人のはざまに生きる」奈良県略図

藤原氏との権力闘争に敗れた石上(物部)朝臣麻呂の感情を推し量れば、悔しくないはずがありません。

「藤原のくそどもめ。全員ブッ○してくれるわ」という感情を感じていたのでしょうか。どえらい事が企画・実行されてしまったようです。しらんけど。

石上(物部)朝臣麻呂の呪い(都市伝説?しらんけど。)

すっげぇ「呪い」を平城京に仕掛けたみたいです。ええ感じに春日神社を作りまくったそうな。奈良時代の陰陽師的にええ感じに。

春日神社を線で結ぶと耳成山を頭とした巨人が現れるそうな。オリオン座っぽいそうな。

よくわからないのですが・・・呪いの効果は上々だったみたいです。っていうか超一流のしごと!?

平城京では天然痘が大流行し、藤原四兄弟が全員死亡。

平城京の聖武天皇は「呪いヤバすぎ・・。仏像つくって!はよはよ。」ってな感じで、東大寺の仏像が完成したそうな。

超一流の陰陽師に依頼したのでしょうねぇ。きっと。

ちなみに、奈良時代のお話ですので平安時代より前の出来事。最強陰陽師安倍晴明より前の出来事です。

藤原京では日常的に「呪い」が実践されていた

藤原京では庶民が「ガチの呪い」を実践していたっぽいです。

藤原京の木簡から、当時の庶民の暮らしを推察できるそうなのですが、普通に「呪いの木簡」が多数出土するそうです。

藤原京の庶民達、マジすげぇ。普通に「ムカつくから呪ってみた」が流行してた模様。

呪いの実践が貴族達にも流行してたことは想像に難くありません。

貴族にはお金がありますので、「呪いは”プロ”に外注」に間違いないでしょう。

こんな感じで平安時代の陰陽師全盛期に繋がるのでしょうか。

物部氏の総氏神・・石上神宮

物部氏の氏神といえば石上神宮。

全盛期は大和政権の武器貯蔵庫のような場所であり「弓の弦を弾くヤバそうな音が聞こえる・・こええ。」というような内容の和歌が残っています。

「鳴弦」と呼ばれる物部秘術で「三輪山の大物主命を召喚術」だったりするそうな。

白高大神と繋がりそうな三輪山の大物主。しらんけど。

拝殿の裏手が禁足地です。

石上神宮には「禁足地」が存在します。今でも禁足地です。

かつては拝殿の背後に禁足地を設け、石垣を巡らせて祭祀を行い本殿は建立されていなかった。古代スタイル。割りと重要っぽいフィーリングです。

禁足地には土を盛ったところがあり、その下にご神体の刀剣が埋まっている。という伝承があり、明治時代に禁足地を実際に発掘したところ・・・「刀」が実際に出たそうです。

日本各地に存在する「禁足地」にはそれなりの理由があります。

石上神宮は霊験あらたか?

霊験あらたかな神社です。ガチの人達に好まれる神社です。

実際に参拝してみたところ・・・。体感低めだったりします。

参拝の際、相性が良ければ?意味不明に感極まって号泣したりするときもあったりしますが、石上神宮では特に感情が動いたりしませんでした。

なぜなのか。普通に「物部勢」だと感じているのですが。

さみしい限りです。「石上神宮 不思議」で検索すると多くの不思議を知ることが出来るかもしれません。

石上神宮の奥宮と言われる「物部神社」について気が向いたら書こうと思います。桃尾の滝も気が向いたら。

十種大祓に登場する石上神宮・・ぇ?瀧寺?

白庭の高庭・布留・石上大神・天の磐船・排尾の山の麓など。実在します。

十種大祓という祝詞。饒速日命が普通に登場する珍しい祝詞です。

十種大祓には石上神宮が普通に登場します。「なづけて石上大神ともうしたてまつり」というような感じ

十種大祓は、白庭・布留・石上大神・天の磐船・排尾の山の麓など、大和郡山市あたりを中心とするパワーワードだらけの祝詞だったりします。チャクラまわる。いたい。

排尾の山の麓=桃尾の滝じゃね?てなことが言われてたりするそうです。

メモ。2022年6月16日。河内国 河上のいかるがみねに・・・。ん?瀧寺っていうか。白高大神?しらんけど。違うかも。いかるがみねって磐船神社のあの辺りじゃないかな?・・・とりあえず直観をメモ。

メモ:磐船神社の辺りのいかるがみねに実際に行ってみようと思います。白高大神とは関係無いと思います。体感が凄かったり。なにかあるのでしょうか。

追記:いかるがみねに実際に行ってみました

実際に「いかるがみね」に行ってきました。結論から言うと白高大神は饒速日命や磐船神社と関係が深いかも?というような感触です。

白高大神の「天在諸神」エリアのことです。

天在諸神エリア

天在諸神。中井シゲノさんの玉姫教会とは違う団体さんがここに関係するみたいです。

白高大神の天在諸神エリアおもしろいです。非常に興味深いです。中井シゲノさんと関わりが無くても興味深い場所ですね。

そのうち・・・天在諸神エリアをメインに記事を書いてみたいと思います。

あら不思議。こんなところに「白高大神」

引用:「神と人のはざまに生きる」奈良略図より

あら不思議。

というような事を次回は書こうと思います。気が向いたら。

白高大神なんですが、物部氏の祖先と言われている饒速日命と実は「縁が深そうな立地条件」にあったりするようです。

・饒速日命墳墓
・磐船神社
・星田妙見宮
石上神宮
・矢田神社
・三輪山
・生駒山
・石切神社

饒速日命墳墓は饒速日命のお墓だそうです。磐船神社の主祭神は饒速日命。石上神宮は物部氏の氏神さま。星田妙見宮にも矢田神社にも饒速日命・・・。生駒山は饒速日命山で石切神社にも饒速日命。

あら不思議。あらあら不思議。白高大神(滝寺)って饒速日命関連の神社や山に囲まれていますねぇ。

天武天皇の頃・・・「眼病平癒伝説」と龍神信仰

藤原京時代からのお付き合い・・「瀧寺」の由来

・天武天皇が皇子の眼病平癒のため、滝で祈る。
・お祈りしたところ「龍王」が現れ滝の水を汲んで目薬としたそうな。
・目薬のおかげで皇子の眼病は治癒。
・御礼に観音像と瀧寺・東明寺が建立
・東明寺には皇子が実際に住むことに。
・東明寺には、観音像と「目薬」が実際に保管されている。

白高大神なんですが、藤原京っていうか「天武天皇」の頃から「お滝」に定評がありました。すっげぇ定評があったっぽいです。← 意味不明に熱くなります。

ABOUT THE AUTHOR

陰陽を愛でたい
白高大神では水のエネルギーを強く感じます。古では滝寺と呼ばれ龍神信仰の盛んな地域だったようです。昭和になり中井シゲノという強烈な個性により稲荷信仰も盛んに。中井シゲノ没後は管理者不在の廃神社時代が少々続いたのですが、2022年になって復活の兆しが。
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